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藤田菜七子騎手が引退をJRAに届出。経歴となぜ引退するのか真相についてまとめました。
2024.10.11
藤田菜七子騎手がJRAに引退届を出したということで、衝撃が走っています。調整ルームに通信機器を持ち込んで通信したということが判明して、10月11日の裁定委員会での判断がでるまで騎乗停止となっていました。
この調整ルームに通信機器を持ち込んだという件は、週刊誌の記事として出ていて、それに対してJRAが対応したものです。
通信のやりとりの内容も週刊誌側は掴んでいるという記事でした。ジョッキーとしては許されない行為だとは思いますが、一方で、それをリークする人がいたということもショックだったのではないでしょうか?おそらく、友人か関係者だったのだと思います。
週刊誌がいくらで買ったのか?は知りませんが、それを売った人がいて、その人は報酬を得ているのでしょう。もしも信頼している友人や関係者がそうだったらどのように思うでしょうか。
藤田菜七子騎手の経歴
藤田菜七子騎手は、日本の競馬界に大きな影響を与えた女性ジョッキーです。1997年8月9日に茨城県で生まれ、27歳で引退を決意しました。
デビューから注目の的へ
2016年3月、藤田騎手は16年ぶりのJRA所属女性ジョッキーとしてデビューしました。デビュー直後から注目を集め、同年4月10日の福島9Rで初勝利を挙げました。
抜群のスタートセンスを武器に勝ち星を重ね、女性騎手の記録を次々と塗り替えていきました。
2018年8月25日には35勝目を挙げ、増沢(旧姓・牧原)由貴子のJRA女性騎手最多勝記録を更新しました。
藤田騎手の活躍は「菜七子フィーバー」と呼ばれる現象を引き起こし、多くのファンが競馬場に詰めかけるようになりました。
重賞制覇と海外での活躍
藤田騎手の活躍は国内にとどまりませんでした。2019年、GIIIカペラステークスでコパノキッキングに騎乗し、JRA所属女性騎手として初めての重賞制覇を果たしました。
この勝利は、女性騎手の可能性を広げる大きな一歩となりました。海外でも活躍の場を広げ、英国アスコット競馬場で行われる騎手招待競走「シャーガーカップ」に参加するなど、世界の名手と腕を競う機会も得ました。
引退の決断と競馬界への影響
2024年10月10日、藤田騎手はJRAに引退届を提出しました。
引退の背景には、調整ルームでのスマートフォン使用という規則違反がありました。JRAは同日、藤田騎手に対して騎乗停止処分を下していました。
藤田騎手は2024年7月29日にJRA職員の男性と結婚しており、近い将来の引退も考えていたとされています。
しかし、規則違反の発覚による事態の重大さにショックを受け、引退を決断したと伝えられています。
藤田騎手の引退は競馬界に大きな波紋を広げました。「菜七子さんを目標にしてきました」と語る後輩の女性ジョッキーも多く、その影響は計り知れません。
藤田騎手の活躍は、女性騎手の可能性を広げ、競馬界の門戸を開く大きな役割を果たしました。2019年3月には、女性騎手の騎乗機会拡大を目的とした減量制度がJRAに新設されるなど、制度面での変革にも貢献しました。引退時点で、藤田騎手のJRA通算成績は3897戦166勝(うち重賞1勝)となっています。
これらの記録は、今後の女性騎手たちにとって大きな目標となるでしょう。藤田菜七子騎手の経歴は、日本の競馬界における女性の地位向上と、スポーツとしての競馬の発展に大きく貢献したものと言えます。彼女の功績は、今後も長く語り継がれることでしょう。
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